東京都杉並区荻窪で骨董、リサイクルの出張買取
戦時中の貴重な書類が入りました。参考文献としてWikipediaを下に掲載しておきます。人間魚雷と呼ばれ当時回天と言われてた魚雷になります。当時の資料はあまりないので貴重なお品になるかと思われます。それに含めて回天の文鎮も出てきました。当時あまり出回っていない資料になりますのでこういう古書も買取しております。もし、ご自宅に眠っている方がいらっしゃいましたらリサイクルさせて頂けたら幸いです。 参考書類 wikipedia 「回天」という名称は、特攻部長大森仙太郎少将が幕末期の軍艦「回天丸」から取って命名した。開発に携わった黒木博司中尉は「天を回らし戦局を逆転させる」という意味で「回天」という言葉を使っていた。秘密保持のため付けられた〇六、的との別称もある。 1944年7月に2機の試作機が完成し、11月8日に初めて実戦に投入された。終戦までに420基が生産された。兵器としての採用は1945年5月28日のことだった 回天は超大型魚雷「九三式三型魚雷(酸素魚雷)」を転用し、特攻兵器としたものである。九三式三型魚雷は直径61cm、重量2.8t、炸薬量780kg、時速48ノットで疾走する無航跡魚雷で、主に駆逐艦に搭載された。回天はこの酸素魚雷を改造した全長14.7m、直径1m、排水量8tの兵器で、魚雷の本体に外筒を被せて気蓄タンク(酸素)の間に一人乗りのスペースを設け、簡単な操船装置や調整バルブ、襲撃用の潜望鏡を設けた。炸薬量を1.5tとした場合、最高速度は時速55km/hで23キロメートルの航続力があった。ハッチは内部から開閉可能であったが、脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった。